2008.04.14 Monday
阪神・金本知憲外野手が2000本安打達成 2008.4.12.
金本、通算2000安打達成!「じらせ過ぎました、すいません」
サンケイスポーツ - 2008/4/13 8:02
(セ・リーグ、横浜3−6阪神、5回戦、阪神4勝1敗、12日、横浜)阪神・金本知憲外野手(40)が12日の横浜戦(横浜)の七回、寺原隼人投手(24)から右前適時打を放ち、プロ野球37人目の通算2000安打を達成した。広島時代のプロ2年目の93年8月8日のヤクルト戦で初安打を放ち、17年目で大記録を打ち立てた。王手をかけてから18打席無安打は最長記録となった。
沈みゆく夕日までも祝ってくれた。暮れなずむ横浜に“虹”をかけた。ようやく男になった。午後4時28分25秒−。2万9866人の観衆が最大の苦しみを味わった金本を称えた。歴史の証人となった。
「ちょっと焦らせすぎましたかね。長かった? ボクは長く感じなかったけど、1日も早く打ちたいと思っていました」
新井と移籍後、初のお立ち台。史上初の1000安打&2000安打の同時達成。「キモイですね」。苦労した分、ジョークが冴える。「運命的なものを感じます」。弟分の言葉が胸にしみた。ともに広島に背を向けた。愛着はあるが、後悔はしていない。「優勝」を求めて飛び出した2人が目を合わせた。至福の瞬間だった。
「M1」から最長の18打席無安打で迎えた七回二死三塁。カウントは2−2。寺原が内角に投じた150キロのストレートを弾き返す。打球が右前に落ちるのが見えた。5点目を叩き出す適時打。生還した新井と矢野がベンチから飛び出した。それが嬉しかった。
「1点がほしかったので、1点入ったという気持ちの方が先だった。詰まりましたね。バットも折れたし…」
苦闘を象徴する商売道具。しかし心は折れなかった。6日の巨人戦(東京D)で王手をかけた。その頃から左太ももに強い張りを感じた。左ひざ手術の影響だった。「不安が出るなら2、3週間たってから」。予想が当たった。だから慌てなかった。
「自分は運が強いというか、強いモノに守られている気がします」
守ってくれた人を挙げればキリがない。故島野育夫氏も、その一人だった。本塁打を放った3月5日の広島との追悼試合(京セラD)。数日後、ホームランボールが帰ってきた。サインを書き、未亡人の美智子さんに送った。仏前に供えられている白球に誓いを立てた。昨年12月17日の葬儀前日、亡骸を前に号泣した。天国の“オヤジ”への最初の恩返しだった。
「実感? 名球会(総会が行われる)でハワイへ行って一番、ぺーぺーになって、酒をついで回ったら実感がわくかも」
悲壮感が似合わない金本は冗談で周囲を笑わせた。偉大な先輩の前では若輩者かもしれない。だが阪神では功労者。新たな“レール”が敷かれている。
「一度、東京で評論家をして勉強してから、指導者として戻ってきてほしい」
バットとグラブを置く日が近づいてきているが、球団幹部は監督として迎え入れるプランを披露した。金本は至宝−。そのスタンスは不変だ。
「次は2500(安打)。本塁打も500本をメドにしたい。2000安打は個人のことだから。優勝はチームで喜べる。できる限りのことをして、ヒットをたくさん打ちたい」
2008年4月12日。また鉄人が強く、大きくなった日をファンは忘れない。目指すは3年ぶりの頂点。アニキが次の歓喜に誘ってくれる。
[ 2008/4/13 8:02 更新 ]
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